松江城にスマイレージの米子公演の際に行ってきました 

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出雲大社の後に、松江城に行ってきました。ここは現存12天守の1つ。昔大河ドラマになった、山内一豊と千代の親友、堀尾吉晴が作った城だ。色々なお城に行ったけど、ここは規模が大きいし、コンクリート、エレベーターや広々とした階段の城じゃなくて、江戸時代から明治の廃城令、戦災をくぐり抜けてきたオリジナルの城だからな。それだけで価値がある。山内一豊の子孫は土佐藩で生き残ったのに(高知城も残ってる)、堀尾は訳わからん理由で改易、もう1人の友人、中村一栄の米子城は形すら残ってない。もちろん、中村氏は改易された。徳川幕府の初期は、特に豊臣の部下だった大名に辛く、数多くの大名が改易させられてるな。大体、大したことない理由だ。結局、系譜が祖父くらいまで分からないどこの馬の骨かわからない奴なのに、取り立ててくれた豊臣あっさりと裏切るような家の人間は信用できんってことでしょ。熊本の加藤清正系、広島の福島、松江の堀尾、米子の中村、会津の加藤嘉明系、高松の生駒あたりがそうなのか。2,3万石の小大名になるか、数千石の旗本に転落。

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写真が堀尾吉晴です。この後が、結城秀康系の越前松平氏になって幕末まで。福井以外にも松江、前橋、津山、明石と越前系松平氏が大名だったらしい。ま、本来なら将軍になっててもおかしくない家系だからな。結城秀康が次男、徳川秀忠が三男だ。他家にすでに養子に出してたのが嫌だったのか、持病(梅毒だっけ?)があって寿命が長いのが分かっていたから嫌だったのか、豊臣秀頼と仲が良かったらしいのが嫌だったのか?

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天守閣の最上階まで登ると、景色いいかと期待してたが、あいにくの雨天であまり見えなかった。ここに見えてる湖は宍道湖。出雲大社から松江まで宍道湖がずっと電車の車窓から見えてたが大きかったな。隣の中海とも川一本でつながっていて至近距離。中海と宍道湖合わせると、かなりの大きさありそう。

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